第2話
第2話
さて、おかげ小町が好調ですが、独立する!ってやっぱり大変な事もあります。
40度熱が出ても出勤!
親知らず抜いて血まみれでも出勤!
ぎっくり腰で全く体が動かなくても出勤!
松葉づえついてでも出勤!
※休んでもええんやろうけど。
子供の入学式も運動会も出勤!
子供の出産の日も出勤!
出勤!出勤!!また出勤!!!
なんとなく、みんな気づいたんだろうけど、
新井さん【狂気】じみてたと思います。
※くれぐれも良い子はマネしないでください。
月70万くらいは稼げたかな?
でもそこから、
冷蔵庫壊れました!-10万
アルバイト求人出します!―10万
クーラー暑いです!―20万
食器われました!
下水詰まっています!
学校休みなので交通費下さい!
製氷機が・・・
洗浄機が・・・
と、なかなかお金も掛かります。
一番の痛手は、社会保険料です。
みんなが当たり前に入ってる保険ですが、これが本当に痛い(><)
自分と亮太2人だけでも、保険で毎月8~9万引かれます。
しかし、年間で100万が、必死のパッチで働いた売り上げから引かれるのは、きつかったです。
保険に慣れるのに7年くらいかかりました。
さて、話を戻して
2年目の小町も順調です。
アルバイトは誰も辞めない奇跡のお店!
全員が同じ声で同じ音量で同じトーンで
いたっしゃいませ!ありがとうございました!あいよ!が言えます!
これは【おかげ小町】が最初で最後でした。
※どこかの店でこれを再現してくれ~~!
いらっしゃいませ~~!!
15名の団体!
当日コース2名!
当日コース2名!
単品2名!
8名団体!
だいたい毎日こんな感じの営業です。
※こうなると逆に単品2名がしんどくなる(><)
当時は底魚が無料で入る奇跡の仕入れ!
もちろん、当日コースは底魚のオンパレード(笑)
15名の鳥を焼きながら、8名さんの煮つけをしている亮太さんに、
これがC1さんのカマス塩焼きね!(当日コース)
これがC3さんのメバル煮つけ!(当日コース)
で、C1さんのカマスの後は、このホウボウを唐揚げにして、
C3番さんはメバルの煮つけの後に、、、、
【名谷のジャックナイフ】はその鋭さを失っていきます。
春には天ぷら10種盛!18名分!!なんてのもありました(笑)
フライヤーはまさかのSumibiサイズ
冬の鍋は底魚のオンパレード!
『お鍋の中身を説明します!こちらからガシラ、イサキ、カンパチのカマ、ブリ…』
中身なんてもちろん毎日日替わり!!
アルバイトの魚力はおそらく、三宮でNO1でしょう。
海鮮しゃぶしゃぶなんてのもやってました!
➡今はもう無理かな??出来るかな??
その他、ハタハタ1箱掃除とかもありました(笑)
もちろんシンクはハタハタの内臓だらけです!
毎月何かが変わっていくお店作り。
京都のお茶屋の和菓子をおいてみたりなんてのもありました!
袋に駄菓子や、飴玉、ラムネなんか詰めて、帰りのお見送りにお客さんにあげてたり、
そんな小町の2年目はもうカオスです。
お昼にクエ鍋17名×7000円!
夜はコースで40名!
13坪のお店(神戸くらい)で35万行く日もあって、
2年目の12月は480万!!
当時の消費税が5%なので、今の売り上げでいったら500万くらいかな?
12月は亮太さんの休みは2回!
新井さんは11月・12月と休みゼロ!
ストロングゼロをおかわりで!!
この時期にはもう【名谷のジャックナイフ】は完全に鞘に収まりました。
この頃は亮太さんが仕込みは板場。営業は焼き場。
新井さんがその逆。
こんな感じの営業だったような気がします。
さてさて3年目のシーズン。
ここから新井さんの【狂気】に拍車がかかります(笑)
こっから2年で2店舗出します!!
独立からわずか4年で3店舗!!
この間に結婚して、子供が誕生して、マンション買って・・・
順風満帆!!!!
のハズでしたが、、、
そして、ここからカワードの少し長い暗黒期になります。
度重なる絶望が僕を襲います。
子供をお腹に抱えた嫁と2人で、赤穂の海を眺めながら
『俺、次の仕事、何しようかな~~』と。
倒産の危機に入ります。
今でも嫁とお酒飲んでる時に【何で倒産せずにすんだんやろう】って笑いながら話すのですが、
当時の僕には今のカワードになるなんて、とても想像出来ませんでした。
つづく。
さて、おかげ小町が好調ですが、独立する!ってやっぱり大変な事もあります。
40度熱が出ても出勤!
親知らず抜いて血まみれでも出勤!
ぎっくり腰で全く体が動かなくても出勤!
松葉づえついてでも出勤!
※休んでもええんやろうけど。
子供の入学式も運動会も出勤!
子供の出産の日も出勤!
出勤!出勤!!また出勤!!!
なんとなく、みんな気づいたんだろうけど、
新井さん【狂気】じみてたと思います。
※くれぐれも良い子はマネしないでください。
月70万くらいは稼げたかな?
でもそこから、
冷蔵庫壊れました!-10万
アルバイト求人出します!―10万
クーラー暑いです!―20万
食器われました!
下水詰まっています!
学校休みなので交通費下さい!
製氷機が・・・
洗浄機が・・・
と、なかなかお金も掛かります。
一番の痛手は、社会保険料です。
みんなが当たり前に入ってる保険ですが、これが本当に痛い(><)
自分と亮太2人だけでも、保険で毎月8~9万引かれます。
しかし、年間で100万が、必死のパッチで働いた売り上げから引かれるのは、きつかったです。
保険に慣れるのに7年くらいかかりました。
さて、話を戻して
2年目の小町も順調です。
アルバイトは誰も辞めない奇跡のお店!
全員が同じ声で同じ音量で同じトーンで
いたっしゃいませ!ありがとうございました!あいよ!が言えます!
これは【おかげ小町】が最初で最後でした。
※どこかの店でこれを再現してくれ~~!
いらっしゃいませ~~!!
15名の団体!
当日コース2名!
当日コース2名!
単品2名!
8名団体!
だいたい毎日こんな感じの営業です。
※こうなると逆に単品2名がしんどくなる(><)
当時は底魚が無料で入る奇跡の仕入れ!
もちろん、当日コースは底魚のオンパレード(笑)
15名の鳥を焼きながら、8名さんの煮つけをしている亮太さんに、
これがC1さんのカマス塩焼きね!(当日コース)
これがC3さんのメバル煮つけ!(当日コース)
で、C1さんのカマスの後は、このホウボウを唐揚げにして、
C3番さんはメバルの煮つけの後に、、、、
【名谷のジャックナイフ】はその鋭さを失っていきます。
春には天ぷら10種盛!18名分!!なんてのもありました(笑)
フライヤーはまさかのSumibiサイズ
冬の鍋は底魚のオンパレード!
『お鍋の中身を説明します!こちらからガシラ、イサキ、カンパチのカマ、ブリ…』
中身なんてもちろん毎日日替わり!!
アルバイトの魚力はおそらく、三宮でNO1でしょう。
海鮮しゃぶしゃぶなんてのもやってました!
➡今はもう無理かな??出来るかな??
その他、ハタハタ1箱掃除とかもありました(笑)
もちろんシンクはハタハタの内臓だらけです!
毎月何かが変わっていくお店作り。
京都のお茶屋の和菓子をおいてみたりなんてのもありました!
袋に駄菓子や、飴玉、ラムネなんか詰めて、帰りのお見送りにお客さんにあげてたり、
そんな小町の2年目はもうカオスです。
お昼にクエ鍋17名×7000円!
夜はコースで40名!
13坪のお店(神戸くらい)で35万行く日もあって、
2年目の12月は480万!!
当時の消費税が5%なので、今の売り上げでいったら500万くらいかな?
12月は亮太さんの休みは2回!
新井さんは11月・12月と休みゼロ!
ストロングゼロをおかわりで!!
この時期にはもう【名谷のジャックナイフ】は完全に鞘に収まりました。
この頃は亮太さんが仕込みは板場。営業は焼き場。
新井さんがその逆。
こんな感じの営業だったような気がします。
さてさて3年目のシーズン。
ここから新井さんの【狂気】に拍車がかかります(笑)
こっから2年で2店舗出します!!
独立からわずか4年で3店舗!!
この間に結婚して、子供が誕生して、マンション買って・・・
順風満帆!!!!
のハズでしたが、、、
そして、ここからカワードの少し長い暗黒期になります。
度重なる絶望が僕を襲います。
子供をお腹に抱えた嫁と2人で、赤穂の海を眺めながら
『俺、次の仕事、何しようかな~~』と。
倒産の危機に入ります。
今でも嫁とお酒飲んでる時に【何で倒産せずにすんだんやろう】って笑いながら話すのですが、
当時の僕には今のカワードになるなんて、とても想像出来ませんでした。
つづく。
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